こんばんわ、劣等感さん。


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こんばんわ、こんにちわ、あおいゆきです。

 

 

今日は小さい頃のからの記憶のお話。

 

 

小さい時、喘息だった。

 

 

運動するのが大っ嫌いだった。

呼吸をする時、空気が通る管の太さが10分の1になってしまったかのように呼吸ができない。どうすれば良いのかわからなくなって取り乱し、さらに呼吸ができなくなった。『もう終わらせて』いつもいつも、そう考えていた。

 

 

いつしか運動が恐怖に変わっていた。

 

 

『また・・』がいつもいつもつきまとった。

『今日は大丈夫だろう』がなかった。小学校の頃、体育が嫌いだった。理解されない苦しみを伝えたところで、周りのみんなからは『サボってる』としか思われないんだもん。

 

 

中学に入った頃もそれは続いた。

以前から比べれば頻度は減ったこと、対処の仕方が分かってきていたことなどもあり、体を動かす機会は増えていた。でも、発作自体はなくならない。携帯用の吸入器は常にポケットの中だ。

 

 

体育にもできるだけ参加した。

発作が起きたら吸入器を使った。大丈夫じゃない時も大丈夫と言うようになってた。

でもホントは大丈夫ではない時もあった。

 

 

サボっているとしか思われないことが、とても嫌だった。発作が起こっていない時は、いたって普通だから、なおさらそう思われてしまう。

いつしか、体の不調を膨らませて『それなら仕方ないね・・』に誘導するような伝え方も身につけた。後ろめたかった。

 

 

でもさ、、

『息ができないってわかる?どれだけ焦って、どれだけ取り乱して、でも落ち着かないともっと苦しくなるから、涙を流しながら心の中で落ち着け・・落ち着け・・大丈夫・・って言い聞かせて、呼吸に意識を向けて、、あまりの苦しさに、もう殺して欲しいって思いがわいても、落ち着け・・落ち着け・・って、また呼吸に意識を向き直させての繰り返し。。』

 

 

これを全部伝えれば分かってもらえたのかな?

 

 

こんな後ろめたさってさ、隠しておかなきゃいけないものに変わっていく。

隠しておく為には、人を遠ざけるか、自分が隠れなきゃいけない。

 

 

何にもないのに、遠ざけたり隠れたりもできないから、自分の中の”ダメ”を探し出す。

 

 

それを地道に一つ一つ見つけ出して大きな劣等感に仕立てていくの。

根拠なんてあろうがなかろうが関係ない。目的は自分を隠すためなんだから。隠すには理由がいるでしょ?

 

 

劣等感てね、その程度のものだよ。俺にとっては。根拠なんてない。

 

 

そんな劣等感。

俺を守ってくれた劣等感さん。これまで、ありがとね。

 

 

でも、今になって思うよ。

素直に言えばよかった。『息ができなくなるの。だから運動するのが怖くて。』

分かってもらえたら良いけど、分かってもらえなくて陰口言われても、どっちでもよかった。本当のことだもん。

でも言えなかったね。当時の俺にとっては、学校が世界の全てだったから。

 

 

今はすっかり良くなって発作も全く起こらなくなった。

 

 

よく頑張ったね。ありがとう。

 

 

そして、劣等感さんにも、ありがとう。