父へ。『あなたは私たちを想ってくれていましたか?』
こんにちわ、こんばんわ、あおいゆきです。
今回は父のことについて。
私は父がいない環境で育ちました。
私たち兄弟は、東京で生まれた。私が3歳の時に両親が離婚し、母と兄と私の3人は母の里に帰省した。
おぼろげにだが、私は小さい時の記憶があった。
私たち親子は駅のホームで電車を待っていた。
ホームに電車が到着すると、母は私たち兄弟の手を引いて電車に乗り込んだ。
電車の窓から外を見ると、3人の大人の男の人がホームに立ってこちらに視線を向けていた。スーツを着た、大柄な男の人達。真ん中は父だった。
そんな記憶の話を、私は母に話したことがあった。
そんなに小さい時の記憶があるのかと、母は驚いていた。
当時の私は3歳。それは私が見た父の最後の姿だったと母は教えてくれた。
あの時の記憶はたびたび思い出す。
私にはあの時の駅のホームでの父の姿の他に、父と過ごした記憶がいっさいなかった。
子供の頃、他の家にはお父さんがいて、でも自分の家にはいない。でも、だからといって寂しいだとか、いて欲しかったと思ったこともこれまで一度もなかった。
ただ、大人の男の人との関わり方がわからなかったのは事実だ。
高校までの学生生活も、男の先生は苦手だった。社会人になってからも、年が離れた男の人との接し方にもずいぶんてこずった。
父と離れて、あれから30年以上・・離れて暮らしてはいますが私にも息子がいます。
いつも想ってはいても、自分の都合で、会いたいからという理由で会っても良いのだろうか。会うに相応しい自分になっていけているのだろうか、、どういう関わり方が良いのだろうか、、それともずっと会わずにいた方がいいのだろうか、、そんなことをウジウジ考えてばかりの日々。
そんな時、父のことを思い出すのだ。
『あなたは私たちを想ってくれていましたか・・?
あの時、駅のホームで私たちを見送る時、どんな想いでいましたか・・?
会いたかったですか?それとも自分のことで精一杯でしたか・・?』
この問いは、息子から私に対して突きつけられる問いにも感じました。
何が正解かはわからない。ただ想いは伝えなければいけないと思った。
・・『あなたは私たちのことを想ってくれていましたか・・?』
『もちろんだよ。。 いつもいつも。 忘れることなんてない。これからもずっと。』
これがあの子に対しての私の想いの答え。
想いを形にするには、どうしたらいいか。私にできることは何か。成すべきこと、それを考えて過ごしていこうと思いますよ。