欲しいものは足元にある。


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こんばんわ、こんにちは、あおいゆきです。

 

私の育った所は、山も近かったが、海も近かった。海までは5分も歩けば海岸。そんなのどかな田舎で私は育ちました。

 

その海岸は、大小様々な無数の石がゴロゴロしている。その無数の石の中には”ヒスイ”が混ざっている。

 

山から削れ落ちた石は、長い年月をかけて川をくだり海に流され、海岸にたどり着く。

簡単には見つからないが、海水浴シーズンになるとヒスイを探す観光客で海岸が賑わう。

 

亡くなった祖母もヒスイが好きだった。

自宅には長い年月、海岸に通い続けた祖母が拾ったヒスイがある。

 

1㎝未満のものから3㎝ほどの大きさのもの、中には30㎝をほどのヒスイの原石も飾られている。

その数は、細かいもの、小さいものを合わせれば、40〜50個程はあるだろうが、その中でも、石の鑑定士も欲しがる程のものは3個ほどだろうか。

 

祖母は海が大好きだった。暇さえあれば海岸にいた。

 

私が地元で暮らしたのは15年ほどであったが、祖母が海岸に通った年月は、私が生まれる前〜地元を離れた後にも続いたであろうことを思うと、少なくとも40年以上になるだろう。

 

自宅に飾られている、ヒスイの数を見れば、通った年数が40年(おそらくそれ以上)としても、小さいものが1年に一個ほど、本当に価値ある原石は10年に1個も見つからないのだ。あれほど海岸に通い続けた祖母でさえ、無数にある石の中からヒスイを見つけ出すのは簡単ではなかったようだ。

 

祖母がヒスイを見つけた時に言っていた事を、母から聞いたことがある。

『ヒスイが呼んでいた』そう言っていたそうだ。

これは本当かどうかはわからないが、とにかくヒスイが呼んでいたのだ。

 

日々、迷った時や悩んだ時、それが何故なのかを探す時、あの海岸でヒスイを求めて、無数にある石ころを見つめ、何時間も何時間もただひたすら足元だけを見て歩く祖母を思い出す。

 

『足元には大切なものが落ちている。』

 

今の私の探しもの。

それは『私には何ができるのだろう』なのです。

誰かの役にたってみたかった。子どもの。大切なひとの。できれば、私を取り巻く周囲のみんなの。

 

あの膨大な数の石の中から、祖母はいくつもヒスイを探し当てた。

 

実際はもっと落ちていたかもしれない。

だが、それは問題ではない。

 

祖母が探し歩き、生涯かけて見つけ出した数々のヒスイ。

 

それが祖母なのだ。

 

祖母の”ヒスイ”。

 

私の”ヒスイ”。

 

今日は、そんなことをふと思い出していた。