徐々に解ってきた『大切なものまで自らぶっ壊してきた原因にあったものは、私の中の劣等感という甘え』だったというお話。



f:id:taka_to_ao:20211019201016j:image

こんばんは、こんにちは、あおいゆきです。

 

何をしても感情が動かなくなってしまったかのように何も感じない。気が晴れない。

そんな日々を過ごし、少し鬱々していた今日この頃。

 

 

そんなある日の朝の出勤時、車の運転中でしたが、ぼんやりと、何処かそこにいないような感覚にもなっていて、独り言が発動していることに気がついたんです。

 

 

自分に起きている事なのに自分ごとではないようなその状況で、自分が喋っている声に耳を澄ませると、どうやら自問自答のようなことを喋っています。(完全に病んでましたね 笑)

 

 

そのボソボソした独り言の声は、

 

 

『何が悪いの?それの何がダメなの?』

 

 

その声を最後に止んだ。

 

 

それを機に、そこに意識が戻ってきた感覚になり、目もしっかり開いた感じもしたんです。

 

 

・・それにしても、最後のあの声。

 

 

その声は、小さい子どもの声のようでもあったんですよね。

私の子どもの声だったのか、子どもの時の私自身の声だったのか・・。

 

 

ただそんな気がしただけのものだったのでしょうが、それまで曇っていた気持ちは、どこかスッキリしてもいましたが、その後も子どもの声のようにも聞こえた、あの声が気になり、ずっと考え続けてしまいました。

 

 

ふと気づいたことがあります。

 

自分がもっていた劣等感や不遇を使い続けてきたのは努力しないで済むような所に自分を置いておく為だった。

 

これには、『なるほど!』でしたね。

 

全部そうですもん、実際。

 

見た目のコンプレックス。

『フラれたには見た目のせいだ。。』と。

どうすれば魅力的になれるのかを考え、努力するのを放棄して。。

 

 

苦手、できない、不安対策。

恐怖を自分の中で強化すると、実際に体はそのように反応する。

例えば、過去に私は、人前に出ると、異常なまでの緊張状態になり、体は硬直し、震えたり、声を出せなくなったり。結果的にメンタルの状態として実行不可能な為、やらなくてもいい状況を作りあげていた。

失敗を恐れ、慣れていくこと、準備をすること、どうしたらできるようになるのかを考え、努力することを放棄して。

 

全て、見た目、自分にはできないという劣等感、それらのせいにして、実際に逃げてきたのは『努力する』ということからだった。

 

これまで本当に多くを自らの手でぶっ壊してきた。

 

こんな自分でも一緒にいたいと言ってくれる人もいた。

 

良いと言ってくれる人も、支えてくれる人もいた。今だって。

 

そんな人たちにまで、私は背を向けてきたのだ。

 

『自分はダメなんだ。それが分かったら、またいなくなるんでしょ?』

 

見捨てられ不安だの、鬱だの、見てくれがどうだのと、自分で”ダメ”を探して相手を試して。

 

本当に多くのものをぶっ壊してきた。

 

子供と離れてしまったのだって、そういう自分の劣等感も影響してた。

 

情けない。一番大切だったのに。全部、ぶっ壊してきたのは自分だ。

 

『変わりたい。。』

 

毎日毎日考えてきた。

 

『何が悪いの?それの何がダメなの?』

 

あの声を一歩に、また、一から歩もうと思うよ。